熊本もラーメンの名店が多く

メジャー/チェーン系から こだわりの個人店まで色とりどり♪

僕は子どもの頃に桂花ラーメンによく連れて行ってもらったので、桂花が味の基準です。 ちなみに上京した2001年、懐かしさに駆られて暖簾をくぐった東京・新宿店の桂花ラーメンは…熊本とは味が違いましたので、それっきり。
豚骨ラーメンを出す店は多いのものの、熊本県外で熊本ラーメンまだまだ探すのに苦労します。



メジャーと言えば

味千ラーメン
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※写真はパークー麺

今や、日本全国80店舗
中国エリアに668店舗
その他世界中に69店舗
愛媛県松山市にも3軒あるし、
イタリア ローマにもあるのです。





そもそも熊本ラーメンとは?
by Wikipedia

スープには豚骨にガラを使うが[1]、豚頭骨のみでスープを取る店も少なくない。また、スープにチップ状にした揚げにんにくやマー油にんにくを揚げた油)、フライドガーリックなどを入れるのも特徴である[1]。このため、豚骨のアクが強い博多ラーメンなどに比べマイルドな味わいとなっている[1]

ルーツである久留米ラーメン玉名ラーメンとの最大の違いは、スープを当日に使い切り、継ぎ足しが無い点にあるという。これによりいわゆる「トンコツ臭」を抑えている。

は低加水の中太ストレート麺を使い、やや堅めに茹で上げる[2]

具材には台湾風に味付けされた[2]煮玉子やキクラゲ[3]、チャーシュー、メンマ、刻み小ネギ、モヤシ、海苔等が用いられる、中には豚肉の角煮、キャベツ、高菜等が入るものもあるが紅生姜や生ニンニクは入らない。

熊本ラーメンは、3人の男たちの友情から生まれたラーメンであるといえる。戦時中のこと、台湾出身の留学生劉壇祥(のちの重光孝治)は宮崎工業高等学校に通っていたが、戦況の悪化により実家からの仕送りが途絶えていた。そんな劉に救いの手を差し伸べたのが木村一である。木村は劉を自宅に迎え、家族同然に遇した。劉はその後熊本大学に進学し、卒業後は甘味料の製造で財を成したのち、木村や山中安敏とともに不動産業、中古車販売業を始める[2]

しかし、彼らに思いもよらない転機が訪れることになる。昭和28年(1953年)に北部九州を襲った白川大水害によって不動産業、中古車販売業は頓挫。3人は「玉名に美味いラーメンを出す店がある」と、昭和27年(1952年)に国鉄高瀬駅(現・JR玉名駅)前に出店し人気となっていたラーメン店「三九」(久留米市で白濁豚骨スープを開発した「三九」の支店[2][4])こだいこを訪れた。三九のラーメンに感銘を受け、ラーメン店をあらたな商売として始めることとなった[5][6]

まず昭和28年(1953年)秋に木村が「松葉軒」を熊本市内に、昭和29年(1954年)には山中が「こむらさき」をオープンさせる。劉は昭和30年(1955年)から「桂花」で調理を務めていたが、のちに独立して「味千」を創業する[2]。ニンニクをラーメンに入れるという手法は「桂花」時代に劉が開発したものである[2]

現在では熊本市内を中心に広く食されているほか、「桂花」や「こむらさき」が関東に進出し、また「味千ラーメン」が中国で多くのチェーン店を展開するなど県外にも積極的に進出を図っている[3]




まぁ、簡単にまとめると下図です↓

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あ、玉名「山九」ではなくて「三九」の誤字です。
申し訳ありません。




特徴としては
サッパリとした豚骨 × ニンニク

・ニンニクをチップとして加えることを考案した「こむらさき」
・劉氏が桂花ラーメン時代に考案したニンニクスパイス入りスープ

この2つの方法でニンニクを加え「久留米系の味に、風味と旨味を加え、素朴さの中に力強さと優しさがある・・熊本人の気質を表したようなラーメン」が熊本ラーメンなのです。




実家の近くにある劉ラーメン
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味千ラーメンを食べた翌日に発見し、桂花ラーメンを愛する僕であれば、劉さんのラーメンを再現しているラーメンは好きな系統であるでしょうから、迷わず入店

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やっぱ ラーメンは熊本である。 おそらく、この辺の熊本ラーメン史は熊本人の教養というか嗜みの一つであり、

以前、博多出張に行った時「長浜ラーメンと書いてあるのに 博多ラーメンじゃないか!!」ゴ━━━(#゚Д゚)=○)`Д)、;'.・━━━ルァ!! 激怒事件があり、同行していた協力隊員に大変ご迷惑をかけた思い出があるのですが・・・ この辺の豚骨ラーメン知識も熊本人ならではのものだと推測されます。



あー、近所に熊本ラーメンのお店できないかなぁ・笑



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